38cm のビスクドール。
コンデンサーや抵抗など、古い小さなラジオ部品と一緒に。
(続き)
部品の台紙になっているのは白いボール紙。何かを再利用した感じだ。
定規で線引きし、穴を空け、
部品の両端の針金部分を台紙に挿しこんで固定している。
ずらりと並んだその様子が標本箱の中のカラフルな甲虫類に見えた。
父が書き記した数字に目が止まる。
何を考えて父はこんなふうに部品を並べたのか。
種類別に分けられた引き出しがあるのだから、
実用的な意味があったようには思えない。
門外漢の私には分からないだけなのかもしれないが、
なんとなく気になって、手元に残すことにした。
技術屋の父は何を美しいと考えていたのか。
紙の上に整列したコンデンサや抵抗を眺めながら、ふと思った。
生きている間は、そんなことを聞いてみたいと考えたこともなかったが。
あなたが美しいと考えているものは何か?
普通そんなことを
誰も尋ねたりはしないだろうし…。
それでも学生時代、友人との会話は、
あの映画の、あの場面は美しかったとか、
あの物語の、あの場面が良かったというようなことで占められていた。
家に帰りづらくなっていた私は、
大学にもほど近い彼の下宿で、夜通し飲んでいることが多かった。
稲垣足穂に敬意を表して、金星台からの夜景や夜の港を見てみよう
そんなことを提案されて、実行したこともあった。
友人は美学科、私は日本文芸学科。
就職には、さして役立たない学部生の
さもありなんという会話だったのかもしれない。
人から見れば、たいしたことではない詰まらないものだけれど、
美しいと感じるものを心の奥に秘めている。
無人の家に残されていたもの全て、
リサイクル業者にお願いして、片付けてもらった。
何もかも無くなった伽藍堂の家の中を見詰めていると、
何とも言えない、やりきれない気持ちになった。
父や母の、大切にしていた何かに気づかず、
廃棄してしまったのではないか
そう思えて仕方がなかった。