新しいワンピース。
ファスナーで背中が大きく開くようになっている。
両腕が外せるこの子でなければ、
160cm のシリコンドールに着せてみようとは思わないのかもしれないが、
金色の夕暮れとワンピースの色が今日の彼女に馴染んでいる。
(続き)
新しい衣装を着せて眺めていると、
本当に着てみたかったのは自分自身なのではないか
ふとそんなことを考えるときがある。
色やデザイン、サイズ、材質表示を見ながら選んでいるのは
紛れもなくこの私なのだから。
むろん、手持ちの等身大ドールの
誰それに似合いそうだとは予め考えている。
一頃は 何を着せても着こなす Tay を思い描いていたし、
最近では夕珠や唯のために
白を基調としたものを選ぶようになっている。
それでも自分自身を忘れたような気分で
美しい人形を眺めているとき、
眺めている対象への自己同一化のようなことをしているのが分かる。
しかも、この日、伊豫田晃一作品集Ⅱが届いている。
注文するのをひょっとしたら忘れていたのではないかと
心配になったときもあったほど
作品集ⅠとⅡの間には時間的な開きがあった。
それだけに郵便受けの中のレターパックが嬉しかった。
原画の美しさには到底及ばないのだろうが、
手に入れることのできなかった作品にもう一度出逢えるのは
時間の流れを遡る楽しさを伴っている。
今は今現在ではなく、私もまた別の私になっているのだ。
人形の顔に、様々な記憶を重ねているうちに
全く異なる別の生を思い描くようにもなっていた。
その生が美しくて、幸せな時間であることを願ったとしても
誰に揶揄され非難されるものでもないだろう。
美しいもののすぐ傍、
黄昏の中の、別の時間を生きている
私自身を想い描いていたい。