"Elica: Dusk color" と同様の気分で撮り始めた。
こちらの方が遥かに夜に近く、
最後の方は殆ど暗闇の中。明るいレンズだから拾えているような世界だった。
(続き)
どうも塞ぎこむような毎日が続いている。
ブログの更新は隔日に行っているが、撮影や下書きは或る時期に集中していて、
時間が経過してから公開しているものが多い。
気の向くままの作業だから、苦にはならないものの、
書いてみようと思うには何らかの引っ掛かりが必要なのかもしれない。
以前、伊豫田晃一氏に勧められて読んだ
「断片的なものの社会学」(岸政彦)の中に、
「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」という章がある。
鍵付きにしているTwitter とは違って、このブログは「誰にも隠されていない」し、
6月から「にほんブログ村」にも参加している。
しかし、それでも、多くの人の目に触れるようになったとは言い難い。
岸政彦氏が取り上げていた
ネットに溢れる膨大な断片的人生の一つなのだろう。
無意味であることが可能にした美しさ
こんな言葉を見つけて、ほっとしたのを思い出した。
ここまで、どこかお澄まし顔だったこの子。
悪戯っぽい表情に変わった気がする。
私の心の中を見透かしているのだろうか。
何をグズグズ思い煩っているのやら…
近くに寄ってきて、顔を覗き込む猫からも
そんな問い掛けが私の心に届く時がある。
すっかり暗くなってしまった部屋の中で
暫くこの子と一緒に
西の窓を見詰めていた。
何の繋がりもなく、
翌日には、この物語を読み返していた。
私にとっての黄昏の国は
10月よりも11月の方なのだけれど。