八太栄里「しんしんとうとう」Acrylic on canvas 20190801 と共に。
(F8号サイズの作品全体像は下記アドレス参照)
https://pbs.twimg.com/media/EFOZFThUEAAbo6u?format=jpg&name=medium
(続き)
「朝」と題された絵に惹かれて、作者の名前を覚えた。
個展「忘れようとしても思い出せない」を覗きに行ったのが去年の今頃。
阪急中津のアトリエ「空白」内には、花をつけた金木犀の木が一本、
一階から二階に吹き抜けるようにして据えられていた。
この絵も霧の早朝。
明け方は、こんなに明るくなっていても、殆ど人影を見ないときがある。
そんな街並みから不思議な静けさと切なさを感じるのは
歩きながら谷川俊太郎の朝のリレーを思い出しているからなのか。
車も見えない無人の横断歩道に立って、
センターラインや信号機を見詰めている時、
私は、カムチャツカの若者であり、メキシコの娘でもある。
或いは、ニューヨークの少女やローマの少年になっている。
今でも時々画集を開いて見入っている「朝」は
以下のアドレスからでも見ることができる。
Eri Hatta pictures - 「朝」 2016 八太栄里 45.5cm×38cm Acrylic on canvas...
キャンバスのままのこの絵を一緒に撮っておきたくなったのは、
青いボーダー柄と濃紺のキャミワンピースの今日の綾苗から
どこか共通する気配のようなものを感じたから。
首筋やデコルテの目立つ服装だから、
本当は避けなければならないのだが…。
今日の彼女には相応しく、好ましいものに思えた。
未明の街路で嗅いだ薄暗がりの中の金木犀の香も
多分関係しているのだろう。
下は数日前、絵が届いたときの記念写真。
その時には何も思わなかったけれど
傍に人形が立っていないのが何とも不思議な気がする。
光よりも、同じような影に支配されている画像だから
横断歩道の途中にいる女の子と
右端の画面から外れたところ、
そのどこかで綾苗が、密やかに視線を交わしているように思えてきた。