3月末以来の
中嶋清八ドール19番_ドレスの少女Ⅱ_Zinaida 夕湖。
撮影しながら、白い鳥の幻を追いかけている気持ちになっていた。
(続き)
昨年6月の時点での取り扱いミスにより
彼女のメイクの一部を薄くしてしまった。
そのことを苦にして、以来、秘仏扱いにしてきたのだが、
黒いドレスの少女 MANA 朗子の方に、より大きな疵を残してしまった。
函から出さなければ、これ以上汚したり疵付けたりすることはない。
重々承知してはいるのだが、それでも所有している限りは、
時々、その美しい顔を拝み、画像に残したくなる。
そうしければ、この世に存在していないのと何ら変わりない。
そんな考えをしている時には、
どうしようもない諦めの思いや覚悟も混じっている。
チュール生地の折り重なった白いパニエの様子が
大きな鳥の翼を彷彿させる。
そこから、概念としての白鳥の歌のことを思い、
巡り巡って、はしだのりひことシューベルツのことや、
亡くなった人たちの歌声のあれこれに行き着く。
壊れてしまったものには、独特の美しさが備わる。
しかし、予め失うことを前提にしたような捉え方は、
やはりどこか間違っていて、
病んでいると誹られても仕方がないのかもしれない。
白いつばさの鳥に乗り / 恋は舞いあがる 「白い鳥に乗って」
嘗て、この歌の明るい旋律と若々しい声に涙したことを思い出す。
美しいものは、夾雑物を排除して、
ただ美しいものとして捉えたいと思うのに、
私が私でいる限りは、それは虚しい願いでしかない。
幾らかでも取り繕いたくなって、
また一冊だけのフォトブック作りを考え始めることになる。