7月の終わりの陽射しが緑の硝子瓶に映える。
中に入っていたのは、地酒の濁り。
墓参りした後の昼食時、義父への献杯として頂いた。
(続き)
38cm のこの子の傍にあるので、小さな瓶であることが分かる。
いつ頃からか、こんな大きさでも飲み切ることができなくなって、
1/3ほど残して持ち帰った。
元気だった頃の義父とは、それこそ一升ぐらいは、
一緒にすぐに空けていたものだったが。
義父と飲む酒は楽しいものだった。
肴は自らおろしてくれた一本丸ごとのブリやハマチ。
大きな声で語られる仕事の話には随所に細かな数字が入っていた。
私は唯それを聞いているだけに過ぎなかったのだが…。
多分、いくら飲んでいても、父とは違い、私への遠慮があり、
無礼講という飲み方を信じない私にとって、
適度な距離を保った義父の飲み方は心地良かった。
墓参りしても、亡き人が、そこにいると感じたことはない。
むろん千の風になっているとも思えない。
そのくせ、眩しい光の揺らめく街角や、夕暮れの道の向こうに
犬を連れて歩いている父を見つけたり、
大相撲中継のテレビ画面の中に義父を見つけたりする。
最初は、当然ながら、よく似た人がいると思っていたのだが、
最近では、これだけの人が集う場所には
亡き人が来ていても不思議ではないと考えるようになった。
彼岸は、西方遥か彼方にあるのではなく、
身近な硝子の輝きの中にも垣間見ることができる。
人形の中にいろんな人の顔を思い浮かべているのと
然したる違いはない。