前のブログには最多登場だったTay 。新しくなったここでは初登場。
今回のドレスもタイトに思えたが、古い画像で確かめてみたら、
ボディコンシャスな衣装では、腰回りが張っている。
クッションドールの腰つきが急に豊かになったりするはずはなく、
その当然のことに対して、奇妙な引っ掛かりを感じてしまう。
(続き)
初読は高校一年生。友人に借りたか、図書館からか。
上の本の奥付は昭和48年6月10日34刷とあり、
後になって自分で購入したもの。
箱入りの、このシリーズは憧れだったのに、購入したのは
倉橋由美子「聖少女」と、たったの二冊。
何度も読み返したはずだが、シリーズの他の作品へ、
或いは安部公房や倉橋由美子の作品にも、さして手を伸ばさなかった。
専攻した学科とは離れるようにして、私の興味は
Isle of Man のブックサービスを通じて購入した
イギリス版ペーパーバックに移っていた。
ノーベル文学賞を噂されながら
1993年に急死してしまった作者のこと、あれこれを考えていた。
父と一つ違いだったことに初めて気付く。
北海道開拓民の流れ、旧満州奉天での生活というその時代特有のスケールや
作家・劇作家としての生き方、一緒に暮らしていた若い女優のこと…
作者没年が、さほど遠い年齢ではなくなってきたこともあって、
若い頃に思っていた感じとは、また別の感慨を抱くようになった。
鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、
巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。
この作者の添え書きからも
過ぎてしまった時の流れ、時代の変化を感じた。
作品が発表された1960年代から1970年代なら、
どちらも紛うことなき自由だったはずだが、
今はどうだろうか。
どちらも、周りへの配慮を欠いた行いとして非難されそうな
息苦しい同調圧力を感じてしまう。
そもそも「自由」は、もはや口に出して言う言葉では、
なくなってきているのではないのかな。
そんな気がしてならない。